訪問者数

2011年7月27日水曜日

☆ 大阪・天神祭シリーズ  Osaka Tenjin Festival - Series (4)

傘踊り

なんと艶やか、なんとかわいい。今日、待っていたのは、この踊りだったのか。何時間見ていても飽きない。さぞかし、御神霊様も大喜びだったことだろう。日本で、こんなにすばらしい躍動感のある美しい踊りを見ることが出来て最高の幸せでした。











































☆ 大阪・天神祭シリーズ  Osaka Tenjin Festival - Series (3)


夏祭りで欠かせないのが、この夜店である。小さな町の夜店は、もっと規模が小さいが、この天神祭の時は、こんなにも沢山種類があったのかと思わせるほど、いろんな夜店が並んでいた。
最近は、この夜店も国際的になってきて、アラブでは人気のある「シュワルマ」*アラブ式サンドイッチ、それにアラブ式・アイスクリームも売られていた。定番のお化け屋敷、金魚すくい、ボール釣り、それにサザエのつぼ焼きなど。幼い頃のノスタルジーを満喫した。











☆ 大阪・天神祭シリーズ  Osaka Tenjin Festival - Series (2)

水都・大阪の美を満喫。
約2時間の陸渡御を終えた大行列は、次々と天神橋のたもとから船へ乗り込んで行きます。
その船の数は、100艘余り。御心霊をお乗せした御鳳輦船などの奉安船や各講社の供奉船を含む船団は、天神橋を発進して大川の上流へと向かう。




















 

☆ 大阪・天神祭シリーズ  Osaka Tenjin Festival - Series (1)


大阪の夏を彩る天神祭が2011725日、本宮を迎え、約3000発の奉納花火が水都・大阪の夜空を焦がした。見物客は、水都で打ち上げられた花火を満喫し、本格的な夏の到来を感じていた。天神祭(てんじんまつり)は、全国の天満宮で催される祭りで、祭神の菅原道真の命日に因んだ縁日で、25日前後に行われる。
大阪の「天神祭」は東京・神田祭、京都・祇園祭とともに日本三大祭りの一つと言われ、毎年130万人もの人が訪れる夏の都市大祭です。祭りの中心は大阪天満宮で祀られている菅原道真公です。 市内の繁栄ぶりを道真公の御神霊に見ていただき、さらなる繁栄を祈願するために、氏地を巡行するのです。








陸渡御(おかとぎょ)。陸路で氏地を巡る陸渡御。
大阪天満宮の氏子・崇敬者たちで結成された「講」と呼ばれる多くの団体が、渡御(とぎょ)の御供を行う行列を仕立てます。渡御(とぎょ)とは神様がお出ましになるという意味。
この講社を中心に総勢3千人余りの団体が、色彩豊かな衣装を身にまとい、神具を携えて渡御の御供をする様は、絢爛優美で時代絵巻さながらの光景です。鳳神輿、玉神輿が渡御列の最後を飾ります陸渡御を終えるといよいよ船渡御が始まります。







2011年7月24日日曜日

☆ 地蔵菩薩(地蔵尊) A Guardian Deity of Children

地蔵菩薩 Ksitigarbha (bodhisattva who looks over children, travellers and the underworld)

奈良市大宮町の一角を歩いていると、地蔵菩薩のお祭りがあるらしく、お地蔵さんの祠のまわりに、飾り付けの提灯が一杯、奇麗に飾られていた。この写真は、日中に撮ったものですが、よし、それでは、夜の風景も撮りたいという焦燥に駆られた。地蔵菩薩の縁日は、毎月24日であるが、旧暦724日で、その前日の宵縁日を中心とした3日間が地蔵盆のお祭りとなる。地蔵盆は一般には寺院寺院に祀られている地蔵菩薩を対象とした祭りではなく、道祖神信仰と結びついた路傍あるいは街角(辻)の地蔵が対象となっている。大地のように広大な慈悲で、生あるもの全てを救うという菩薩。夜の風景を撮ろうと思って再度、現場まで来たが、すでにお祭りの行事は、終わっていて、提灯もすべて撤収され、そこには祠だけ何事もなかったように静かな佇まいを呈していた。。(残念)


地蔵菩薩は、サンスクリット語で、クシティ・ガルバと言って仏教の信仰対象である菩薩の一尊である。クシティは、「大地」。ガルバは、「胎内」「子宮」。意訳して「地蔵」となったらしい。大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。一般的には「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶお菓子が供えられている。Wikipedia参照)

2011年7月22日金曜日

☆ (熊蝉) くまぜみ   Cryptotympana fucialis


719日から20日にかけて、大型で速度の遅い台風6号は、急に直角に方向を変え近畿地方(特に和歌山県南)を襲った。台風が過ぎて、待っていたかのように、一斉に蝉が鳴き出した。今朝、自宅の玄関のブロック塀を見ると、くまぜみが殻から抜け出た直後の形で、空に舞い上がる時期を待っているところだった。急いで、カメラを構えて撮影した。2時間後に、またその場に戻ったが、もうそこには、いなかった。いまごろ、みんなに混じって、あと、7日間ほどの命を知ってか知らずか、大声で鳴いていることだろう。 熊蝉の名の由来は、体が大きく黒色であることから熊に例えたものだそうだ。


もともと関西のクマゼミは昔から、田園部ではアブラゼミと並んでたくさん生息していたが都市部ではあまり多くなかった。しかし、高度経済成長期あたりから都市部でも増加し始め、現在の大阪市内ではアブラゼミを凌駕するまでになっている。このような傾向は、セミの種類こそ異なるものの長野市 仙台市 山形市においても見られる。このような、さまざまな都市に見られるセミの栄枯盛衰現象の原因
地球温暖化によるものであるかどうかは、不明である。(Wikipedia


2011年7月19日火曜日

☆ ビリケン像  Billiken Statue


大阪・通天閣の展望台にある幸運の神様「ビリケン像」。しかし、いつ行っても観光客の列で何時間も待たないと入れない。合格祈願・縁結びなどあらゆる願いを聞いてくれるそうだ。

ビリケンは、尖った頭と吊り上った目が特徴の子供の姿をしている幸運の神の像。日本では、大阪の通天閣にあるものが有名で、「ビリケンさん」の愛称で親しまれ、特に足を掻いてあげるとご利益があるとされている。


通天閣の公式ホームページによれば、ビリケン(BILLIKEN)は、1908年(明治41年)アメリカの女流美術家、E・I・ホースマンという女性アーティストが夢で見たユニークな神様をモデルに制作したものと伝えられています。














トンガリ頭につりあがった目という、どこかしらユーモラスな姿は、たちまち「幸福のマスコット」「福の神」としてアメリカを始め世界中に大流行した。新世界のあちこちには、レストランの店頭に、このビリケン像に会える。笑っているのか怒っているのか不思議な表情と、愛敬あるポーズが人気。

通天閣以外にも、神戸・松尾稲荷神社、箱根・湯本駅ホーム、大阪・池田市栄本町などにも見られる。

2011年7月16日土曜日

☆ 平城宮跡・大極殿 Ruins - Heijo Palace "Daigokuden"


平安遷都1300年、平城宮跡の朱雀門の真北約800mに復元され堂々とそびえる「大極殿」。高さ27メートル、正面44m、側面約20m。平城宮最大の宮殿であり、当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国の最も重要な儀式のために使われていた。この大極殿は、奈良市内の東西南北の少し高台であれば、どこからでも容易に絶景が見られる位置にある。

Wikipediaによれば、「大極殿」の名は、万物の根源、天空の中心を意味する「太極」に由来する。すなわち、帝王が世界を支配する支配する中心こそ「大極殿」の意である。
写真は、近鉄奈良線西大寺駅の近くにある総合ショッピングモール「ファミリー」の屋上から撮影。遠くに、東大寺・大仏殿の甍、その奥に若草山が広がる。

2011年7月12日火曜日

☆ 兎を抱く少女たち  Girls holding a rabbit


いまから、約10年前、私が台北市遼寧街に住んでいたころ、行きつけの額装屋さんがあった。いわゆる額縁に美術品や写真などを入れて飾れる状態にすることを額装(がくそう)という。当時、そこの老板(店主)は、日本語が流暢で、もう70歳は、裕に超えておられただろうか。
私がアメリカ、イギリス、フランス、ギリシャ、インドネシアなどに旅行しては、そこで額装をしてもらうので、親しくなった。腕は、確かで、仕上がりは上々。 他の店に行く気はしなかった。
ある日、一枚の絵が目に飛び込んできた。なんと、美しい表情をしたまるで、天使のような少女たちが兎を抱いている。それが、また面白いことに、その絵がジグソーになっている。見れば見るほど欲しくなって老板と交渉してやっと私に譲ってくれた代物である。今も、日本の自宅に飾ってある。3年前、久しぶりにその店に行き「おじさんは?」と奥さんらしい人に聞くと「前の年に亡くなりました。」という。奥さんは、「あなたのことは、よく覚えていますよ。」と言ってくれた。おじさんに、「合掌」、娘さんが、後を継いでいると言って中から顔を出した。(画像をダブルクリックしていただきますと、画像が最大の大きさになり、ジグソー・パズルになっているところが、見られます。)

2011年7月10日日曜日

☆ 大阪天満宮 Osaka Tenmangu Shrine

大阪駅のほど近くにある天満というエリアに鎮座する「大阪天満宮」。「てんまのてんじんさん」との呼び名で親しまれている。創建は天暦3年(949)。大阪天満宮は、天保8年(1837年)の大塩の乱で本殿及び多くの社殿が焼失し、その後、弘化2年(1845年)に再建され現在に至っている。



この天満宮の中に「登龍門」がある。これは、中国の黄河にまで遡る。
黄河壷口瀑布から60キロ先に登龍門で知られる龍門がある。黄河はこの門を通り抜けると一気に広がり大黄河になる。 壷口瀑布は西安から約400キロ陝西省にある。
登龍門は黄河の狭き門で何年かに一度しか開けられない。
激流を上ってきた鯉たちは門の前で待ち続け、門が開いた時 に先を競って飛び込み、登れた鯉だけが龍になるという話である。不撓不屈の精神 が成果を得るとの比喩である。

登龍門 "Hurdle of Dragon Gate (Left )

Osaka Tenmangu Shrineis located at Tenma Area just near to JR Osaka Station, which is very familiar with the mnemonic (pet name) so called “Tenmano Tenjin-San”. It was originally built in 949.  However, Osaka Tenmangu burned due to the Civil War of Oshio in the main hall and the shrine in 1837 and it was rebuilt in 1845. It arrives up to now


There is “ Hurdle of Dragon Gate”  in this Shrine and the story goes back to the Yellow River in China. At the place of 60km from the Waterfall of Hukou River, there is Dragon Gate which is known as “Hurdle of Dragon Gate”  

Yellow River will go through the gate and suddenly shows a big spread.
Waterfall of Hukou River is located in Shaanxi Province about 400 kilometers from Xi'an.
“Hurdle of Dragon Gate” is not opened frequently, but only once in several years.


It is really the strait gate of the Yellow River.. Carp came up in a torrent are waiting in front of the gate, where to dive competitively when the gates opened, it is said that the carp will become the real dragon who could go through the gate.  This is a metaphor for the spirit who can reap the benefits of hardiness.