訪問者数

2011年6月30日木曜日

☆ ファティマの手 Fatima’s Hand


私がサウジアラビアに駐在(1980-1985年)していた時に、「ファティマの手」のことを友人に教えられた。ファティマは、マホメットの4女として生まれ、生涯を社会奉仕に尽力したという。
慈悲深い彼女の手を幸福を呼ぶお守りとして、あるいは魔よけとしてアラビア諸国で広く用いられている。あらゆる女性の装身具としてあるいは家屋の入り口のドアーノックとしても用いられている。ファティマの模様が入ったペンダントと灰皿は、北アフリカ、モロッコのカサブランカで買い求めたもので今では、私の宝物である。この5本の指をイスラーム教の五柱と、後に意味づけているようである。アラビア語では、数字の5のことを、ハムサ(Khamsa)という。まんざら、私の名前mrfiveと縁が無いとも言えない。イスラーム教の預言者マホメットの娘の名前から、ファティマの手と言われている。


2011年6月26日日曜日

☆ 台湾バナナ  Taiwanese Banana

この6月に仕事で、台湾・台南を訪れ、工場に行く道中、マンゴ畑、パパイヤ、パイナップル、バナナ農園に立ち寄り、バナナを撮影した。

昭和30年ごろまでは、台湾バナナは、「高級品」の位置付けにあり、我々庶民には、手の届かないものであった。それは、上質の台湾バナナは、料亭やホテルに買い占められていたからである。私が、小学生のころ病に臥していたときに母が高級台湾バナナを買ってきて食べさせてくれたことをはっきりと覚えている。随分と弾んでくれたんだなあということが、子供心に刻まれている。子供心に、一生に一度でいいからバナナをたらふく食べて死にたいと思ったものだ。


いまでは、そのバナナもスーパーで格安で買える。バナナは、再び健康食品として注目が集められており、その消費は、増加傾向にある。市場には、エクアドル産、フィリピン産もあるが、味、香りは、台湾バナナの比ではない。特に、エクアドル産は、サイズが大きく、味も大味で深みがない。


台湾バナナが美味しい理由が、Wikipediaに記載されている。「台湾はバナナ生育の条件としては、気候的には寒く、フィリピンでは8か月で収穫できるのに台湾では収穫まで12か月から13か月かかるものもあり、促成栽培でなく、じっくり成長するため味、香りが濃くなる。」とある。やはり、台湾バナナは、依然としてバナナ・キングなのである。

2011年6月19日日曜日

☆ モネの絵画 Monet's painting

3年前に、比叡山の頂上にある「ガーデンミュージアム比叡」に行ったことがある。そこで、見たモネの絵画「睡蓮」も模した庭園があった。モネが描いた絵を頭に浮かべながら、静かな美しい庭園に吸い込まれて行った。「光や風景の動きや雰囲気をうまく絵の中に表現し、「光の画家」とも呼ばれているモネは、睡蓮(すいれん)以外にも数多くの美しい作品を残してる。『印象派』という言葉が誕生したきっかけは、モネの作品からだと言われている。
モネ(1840-1926年)




ガーデンミュージアム比叡 (ウェブサイトです。)


睡蓮


2011年6月12日日曜日

☆ ご挨拶・ Greeting



mrfive313写真館のブログに訪問されました皆様に心から感謝の意を表します。
アメリカ合衆国、ドイツ、マレーシア、台湾からもご声援をいただきまして喜ばしい限りです。これからも、いい写真を撮り続けて行きますので、ご声援のほどよろしくお願い申し上げます。

I sincerely would like to express my gratitude to the guests who visited the Blog of mrfive313  Photograph Studio.
I am very pleased to know that there are guests from the United States, Germany, Malaysia, and Taiwan not only from Japan. I would like to do my best to show good photographs in the future. Please root for me continuously.

from:  mrfive313

2011年6月11日土曜日

☆ 奈良公園の鹿 Deer in Nara Park

自宅から奈良公園まで、歩いて約25分。小雨降る奈良公園は、樹木の緑がしっとりとして、久しぶりに森林浴を楽しんだ。資料を調べてみると奈良公園の鹿は、現在約1200頭。
もちろん、ここまで増えたのは人が保護してきたからです。明治維新の時に35頭、第二次世界大戦の時には79頭まで減ったと聞く。戦後は奈良の鹿愛護会が発足され、保護が進められここ10年は1200頭の数を保っています。毎年、200頭の子供が生まれ、同じ数が病気や事故で死んでいます。寿命は1520年だとか。

東大寺旧西門跡の近くを歩いていると、つぶらな瞳で私を見つめる可愛いい子鹿が、いたのでなんとかこちらを向いたところを、シャッターに納めるべくチャンスを待った。なんと清清しい顔をしているのだろうか。口笛を吹いたら、うまくこちらを向いてくれた。


普段の奈良公園は、観光客で一杯だが、今日は、雨が降っていることもあり、
公園は静寂そのものである。


緑の森を潜り抜けると、美しいフレンチ・ルネサンス高揚期の様式の建物、
奈良国立博物館が、堂々とした顔を見せる。


公園の奥に進むと、今度は、牡鹿がどっしりと休んでいるのに出会った。
2時間半の散歩を楽しんだ。


2011年6月10日金曜日

☆ 台北植物園の蓮の花 Lotus Flower in Taipei Botanical Garden


台北植物園は、約8ヘクタールもの広大な敷地に約1500種類もの植物が栽培されており、まさに都会のオアシス。真夏の平日でも、人々が涼を求めて園内に広がる木陰の下や蓮池の周辺を散策する姿を見かける。この植物園は、日本統治時代からある。蓮池のそばには、歴史博物館があり、6月に入ると、その中にある喫茶室から、眼下に広がる満開の蓮の花が見渡せる。台北駐在時には、よく見に行ったものだ。蓮の花を「うてなの花」ともいう。日本国語大辞典によれば、「極楽浄土にあるという蓮(はす)の花。成仏して浄土に生まれたものがすわる所(台)」と記されている。池一杯に咲き乱れる蓮の花を見ていると、まさに極楽浄土にいる気分になる。

2011年6月9日木曜日

☆ 台北101 「台北国際金融センター」Taipei 101"Taipei International Finance Center"


台北101は、7年もの工期を経て、2004年12月31日に正式にオープンした。正式名は、「台北国際金融センター」。台北市の中心地である信義地区に位置する。この周りには、新光三越百貨、統一阪急百貨や映画館などが、ひしめき合う高級商圏となっており、特に若者たちの遊び場になっている。昼間と夜の景色は、まるで、違う。
Wikipediaによれば、台北101の高さは、509.2メートルで、2008年時点で、完成した建築物としては、世界一高い建物だった。全面ガラス張りの近代的建築ながら、輪郭は伝統的な宝塔と竹の節がイメージされている。また、環境設計や安全を踏まえ設計された。杭は8本の巨大な柱で、支持層(岩盤)の下30メートルまでしっかり打ち込まれている。27階から90階にかけて、逆台形をした8階分を一節(ひとふし)として、8つの「節」が縦に連なる。24階から27階にかけて、中華圏の昔の貨幣(通貨)をイメージしたオブジェが各方位に設置されている。安全性のみならず、風水まで考慮されている。
19年間、住んだ台湾で、誇れるもののひとつである台北101.


遠く新店市からも遠くに霞む台北101が見える。
3つめの写真の右側の山の上に光って見える塔が台北101である。




新店市から遠く台北101を望む(下)

2011年6月5日日曜日

☆ 中国厦門空港で見つけた一枚の絵画 One painting found in China Xiamen airport


「厦門」は、普通語では、「シャーメン」と発音するが、アモイといえば明代末から清代初期の英雄「鄭成功」が有名で、アモイから船で3分のところにあるコロンス島には、鄭成功像が建っている。 アモイには3000年前からミンナン族が住んでおり、ミンナン語を話す人も多く、ミンナン語だと「アモイ」と聞こえるため、この呼び名が生まれた。現在でも、福建省の誰もが愛する1600年代の英雄、「鄭成功」は、日本でも近松門左衛門の浄瑠璃 「国姓爺合戦」になっているほどである。鄭成功は、父、「芝龍」と長崎藩士の娘のマツの間に生まれたことは、有名で日本人にも愛される所以であろう。
清の力にアモイは危なくなり、「成功」は台湾に根拠地を移した。後に「成功」は2万5千の兵を数百の船にのせて台南に上陸し、1620年代から占拠していたオランダ人を9ヶ月で降伏させた。台湾の英雄として今も慕われている。
4
年前、その厦門での仕事を終えて、台湾への帰途、厦門空港のショップで目が釘付けになった絵があった。
その絵に、我が娘が幼き頃の仕草を思い出してのことか、それがあまりにも可愛いので、つい買ってしまった。れっきとした油絵である。いまも、応接間に飾っている忘れることのできない絵の一つである。

2011年6月4日土曜日

☆ 暮れなずむ平城宮跡 - Ruins of Nara Heijo Palace in twilight

平城京(710-784):平城遷都1300年祭も20101231日で閉幕となった。生い茂るすすきの向こうに見える「大極殿」(正面約44m、高さ約27m)が小さく遠くに霞む。当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていたそうだ。 暮れなずむ黄昏時の平城宮跡、1300年前の栄華が偲ばれる。平成10年には、平城宮跡を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録され、世界的にも注目を集めている。